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洞松寺(とうしょうじ)は、山形県長井市にある曹洞宗の寺院。山号は三峯山。本寺は南陽市上野の盛興院。本尊は釈迦如来。 == 概要 == 応仁年間(1467年 - 1469年)、瑞龍院五哲のひとり月窓正印(? - 1478年)によって草岡光森(現在の仁府地区)に開かれたが、火災で焼失した。草岡村と勧進代村の境にあったことから、村境争いに巻き込まれたのではないかという見方がある。 延享3年(1746年)、12世月寒耕雲(? - 1761年)の時代に現在の草岡新町に移転、高世八兵衛・高世次兵衛を開基として再建された。 16世文明恵紋(? - 1820年)は養蚕のねずみ除けを祈願し、赤地蔵堂を建立した。この前の広場が長い間、村の引導場となる。 その3年後の寛延2年(1749年)、米沢の俳人中村雨十が訪れ、そのときの様子を『洞松寺の記』に記す。その見晴らしを「眺望群れをはなれ、佳景神を得たり」と絶賛したことから絶景の地として知られ、文政12年(1829年)に米沢藩主上杉斉定が訪れた。寺宝の「鳴鶴楼」の額は佐賀の儒学者古賀穀堂(1778年 - 1836年)によるもので、斉定の記録にも記されているが、どのような経路で洞松寺にもたらされたものかは不明である。 現在の豊嶺卓也(1973年 - )で33代である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「洞松寺 (長井市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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